今朝、起きたら、母が「さっき、気がついたら、ばんだのさくらか〜 と歌っていたのよ。どうしてあんな歌が出てくるのか。」と笑っていました。
花と散れ、という、みんな喜んで死ね、という歌だね、と話していて、
戦争をしたい人は、自分たちは大丈夫と思っているのだろうね、と話していて、
はっと気がつきました。
安倍さんの「美しい国」って、人のいなくなった国なのかな、と。
母は、今で言う中学2年生の頃には、学校の授業は無くなり、学校は工場になりました。
最初は軍服の修理、その後、戦闘機をベニヤで作る仕事。
軍服は、血を洗い流す作業から。(血だらけで破れた軍服を再利用!)
生地が硬いので、指を縫ってしまった人もいました。
戦闘機は、障子の桟のようなものを組み立てて、ベニヤを貼って、ジュラルミンで覆うというもの。
のこぎりやかんなが使えるようになりました。
途中で落ちて兵隊さんが無駄死にしないようにしっかり正確に作れ、と言われていたそうです。
弟たちは勤労奉仕で田畑の手伝いでした。
(兄弟皆体が弱く、いつも一人か二人は入院中。祖母は大変だったと思います)
食べ物が足りないので、畑などしたことのない祖母が、家の前にあった温室を壊して畑にし、遠くに、畑を借りて、子供たちを養いました。
庭に防空壕を掘りましたが、焼夷弾の直撃ですぐにだめになったそうです。
家にも落ちたことがあるそうですが、死に物狂いで消したそうです。
近所に共同の防空壕がありましたが、叔母は白い服を着ていると危ないからと入れてもらえなかったことがあると聞きました。新型爆弾を恐れて!
祖父は鉄道に勤めていましたが、戦争が始まる前に秘密で召集され、泰緬鉄道の建設に従事させられていました。戦後も長く帰らず、帰ってきたときは、やつれ果てて、すっかり変わっていたそうです。ただでさえ覚えていない年頃の下の子供たちは見て怖がって泣いたそうです。
(母の話では戦争の前からと聞いています。穏やかな優しい人でした。)
父からも、戦争中のことはよく聞きました。(父は中国にいました)
患者さんたちからもよく聞きました。
家族の多くを空襲でなくされたり、どなたかが戦死なさった方もいらっしゃいます。
戦争が終わってほっとした、
憲法が出来て、自由で平等な世の中が来たと嬉しかった
と、いろいろな人から聞いています。
どうして、それを変えたい人が居るのか、不思議でなりません。
これからの戦争なら、防空壕なんて何の役にも立たないね。
戦争中、食料がなくて大変だったのに、自給率はすごく低くて、
TPPで、また下がるね。
どんなに素晴らしい軍備があったって、食べ物がなければ手も足も出ないと思わないのかなあ・・・・
原発はまだ大変なのに売ろうとするし、
人を見張って密告を奨励するような自治体があったり、
それって恥ずかしいことじゃなくなったのかなあ??
さっぱり分からない!!、などど、ぐずぐず言っておりました。
仕事があるので切り上げましたが、
一段落つくと、
頭の中でぐるぐる回ってしまいます。
いったいどうなるのか!
夏の参議院選挙が大事だと思いますが、
テレビでは、自民党有利とばかり言っています。
自民党を普段支持している人でも、憲法を守りたい人もいらっしゃるはずです。
本当になんとかしなくては、子供たちの代になったら目も当てられないことになりそうです。