1日は、お能を観に行くためお休みしました。
私の先生が舞囃子を舞われるのでどうしても観たかったのです。
去年は先生の能だけ観て急いで帰り仕事をしましたが、今年は思い切って休みました。
最初は舞囃子「葛城 大和舞」次に能「江口」そして狂言「箕被き」
それから舞囃子「天鼓 盤渉」、少し休憩で能「花月」でした。
舞囃子はそれぞれ小書という、通常とは違うところのあるものです。
舞囃子というのは、お能と違って装束はつけず、着物に袴の姿で、
能の中の舞の部分の前後〜中心部分であることが多い〜を舞います。
装束はつけずとも、見応えのあるものです。
お能2番も素晴らしかったのですが、私にとって強い印象の残ったものは、
この舞囃子の2番でした。
(狂言も、大好きなもので、素晴らしかったです)
力強く、美しく、本当に素晴らしかったです。
(本当に!言葉では追いつきません)
お能には、(仕舞、舞囃子など一部分のものも含めて)
奇跡のような、何か特別なことが起こります。
それを固唾を呑んで待っている時間の不思議なこと!
でも、ああ私は集中力が無く、周りの人に悩まされてしまいます。
一昨日は、江口のときに入っていらしたご夫婦でした。
ごく小さな声で気はつかっていらっしゃるのです。
でも、ちゃんと聞こえるのです!
で、お能のクライマックスであろうとも、舞囃子の最中であろうとも、
断続的にお話が続くのです・・・・・。
いつも、お能のとき、周りにそういう人が・・・・
この前は「野の宮」のお能のとき、
最後の場面で目を凝らしてみている時に、のんびりとしたおしゃべりが始まりました。
お能を観に行くたびに、なんだか息を潜めてみているときに限って、
「ねえ、どうやって帰る?」とか、「あの人はねえ」とか、
「ここのところはどういう場面で・・・・」とか、
気がつまるのを発散させていらっしゃるのかも知れませが・・・。
いつも、ううううう・・・と堪えながら観ています。
とうとう、舞が終わってから、「舞の最中はお話なさらないで下さい」と
言ってしまいました。
ああ、そうしたら、その方は大変恐縮なさって、しきりに謝られるのです。
でも、私は怒りの余韻が続いていて、ちゃんと対応できないのです。
後で謝ろうと思っていたら、
なんと帰ってしまわれたのかお二人とも姿が見えなくなりました。
ごめんなさい! 取り返しのつかないことをしてしまいました。
なんだか怒りんぼうで、切り替えが下手で、
怒りがおさまっているのに表現できなかったりもするのです。
後の「花月」は面白い能なのですが、なんだか憂鬱になってしまいました。
本当に申し訳なかったです。なんとかこれから気をつけたいと思います。
人のせっかくの楽しい時間を台無しにしてしまいました。